マラウイ:子供たちに開く、24時間無償図書館

マラウイ教育プロジェクト

世界のどこにでも子供たちの事を思って活動している人たちがいる。

マラウイで、無償の図書館を運営するジェームスに出会った時、よみがえったのは高校時代ボランティアでお世話になった日本の横浜で無償で在日外国人の子供たちを支援する「信愛塾」の事、そして台湾で貧困家庭の子供たちに居場所を提供する「孩子的書屋」の事。

ここにも、同じ志で頑張って地道に地域に根ざして子供たちの居場所を提供する人がいる。

全く違う国で、違う文化で、違う教育制度だけれども、この人たちはみんな子供たちにそのままの姿で居られる空間を創って、帰れる場所であれるため日々活動を続けている。その人たちはみんな子供たちの先の未来を子供たちと共に見続けている。

ジェームスとの出会い

私が初めてジェームスと出会ったのは、去年マラウイのムズズ地域の小学校で菜園をつくるプロジェクトをしていた時。

ジェームス率いるAnno’s Africaも同じ小学校で、週末子供たちに演劇、ダンス、大道芸等、芸術のクラスを無料で行っていたのだ。私たちのプロジェクトチームも週末彼らの活動に混ざって、一緒にダンスや、ゲームをしたりしたのだ。その時は、連絡先を交換して、面白い友人に会えたことを感謝していただけだった。

本当にジェームスの事を知ったのは、2か月前からだろう。

私と、マラウイの大学生のブレッシングと二人で教育プロジェクトを計画し始め、いよいよ準備をはじめようとした時、ふとジェームスの事が蘇り、一緒にプロジェクトをしないか声をかけたのだ。ジェームスは、「それは、素晴らしいことだよ!」とすぐに返信し、それから毎週私とブレッシングの定例会議にジェームスが加わるようになったのだ。

ジェームスはAnno’s Africaで働いていることもあり、地域との関係、小学校との関係も深く、さらに教育プロジェクトに情熱と経験を持っており、私たちにたくさんの意見をくれ、しかし必ず私とブレッシングが中心に活動を進めていけるよう肝心な決断や、選択、そして学校とのやり取りは私たちに任せてくれるスーパーアドバイザーの立ち位置に自然となっていった。

彼はいつも私たちに言う。

”We are one!”

そして、私の目を真剣にまっすぐ見て、一つ言いたいことがある、と言う。

「これは、れなが始めたことだけれど、れなが帰ってからも僕たちで続けていくから。僕と、ブレッシングが続けていくから。」

そして、親しげにブレッシングの肩を叩き、「なっ!」とブレッシングに笑いかける。ブレッシングも少しはにかんだかと思うと、再び私に向き直り、「もちろん 」とうなずく。

ジェームスは、いつもこの活動を続けていく事、そして一年間のスパンで考えるよう私たちに働きかける。彼の前向きな力に押され、私たちも歩んでいくよう感じる。

そんなジェームスは毎回、私に「ありがとう。」という。

なんで、そんなに感謝するの?と聞くと、彼の生い立ちを話してくれた。

読書できない子供時代

ジェームスは、二年生で親が離婚し、ムズズのとある町に母親と引っ越してきた。同時に、できたばかりの地域の小学校に通い始めた。それが私たちが今回活動するチプテュラ小学校である。母親が演劇をしていたこともあり、演劇が好きになり、演劇をする子供時代だった。しかし、小学校を卒業する8年生のその年母親が亡くなる。それから、親戚の家を毎年転々としながら、中等部に進む。親戚の家では、家事の手伝い、仕事などで、勉強は後回し。本を読む空間もなかった。

中等部を卒業し、それからジェームスは演劇の仕事を受ける傍ら、育ったチプテュラ小学校の地域に戻り、そこで自身の子供時代になかった勉強や、読書をする空間を地域で創るため「Save the Generation」という団体を立ち上げ、無料の図書館を小学校から徒歩10分ほどの所に創った。そして、今すでに初めの試みから15年が経つ。図書館はほんの冊数はわずかながら、それでも24時間開放する空間に身を寄せる子供たちの居場所として定着している。

公共の図書館は小学校から徒歩40分はかかり、しかも入場費がかかるから小学生にはとても親しめる場所ではないけれど、ジェームスのところでは、ボランティアの大人たちが10人ほど出入りし、静かに勉強できる机と、椅子と部屋がある。

外にも置かれている椅子に座りながら、ジェームスに聞く。「どうやって資金到達しているの?」

自分の演劇で入った給料をスタッフに月々分け与えているという。一切ドネーションは受けたことがないんだ、自分で続けてきたんだ、と話す。大学にも問い合わせたことがあるが、たらい回しにされるばかりで、相手にされなかったんだ。でも、彼がこうして続けてきた空間が私の前にある。

「れな、まずは行動だよ。始めなきゃ。」

彼に言われて、私は心臓が止まるほどドキッとした。

資金がない、私にはこれだけのお金しかないから、ここまでしかできないだろう、と私は自分に大体の打算を設けている。それを見透かされている。そう感じた。そして、その打算が自分たちの団体に制限をかけている。そう、はっきり感じた。

資金の事よりも、地域に何をできるかを基準に行動しつづけているジェームスに、無鉄砲だ、どうやって続けるんだよ、どうやってもっと多くの人にプログラムを届けられるようになるんだよ、と思っていたけれど、実際に彼はそうして行動し続けている。

ならば、私の役目は?私ができることはなんだろう。

私たちにできることはなんだろう。

見つけ出す自分の役割

私は、マラウイで育ったわけでもない。教育の専門家であるわけでもない。ただ、マラウイの教育に興味を持っていて、誰もが教育を受けながら安心して育っていける環境にしていきたいと願っている日本育ちの台湾に留学中の大学生である。

マラウイでは、分からないことばかり。でも、分からなくて四苦八苦したり、驚いたりしている私をマラウイの人たちは笑いながら、手を差し伸べてくれる。きっと、「この子は大丈夫かな」と気遣ってくれているのと、「なんか面白いな」と面白がってくれているのだろう。

小学校で、校長に話していても、先生たちに話を聞いていても、地区の教育省に話をしに行かせてもらった時も、みんな不思議に思って話を聞いてくれる。私の少し変わった出で立ちが、いろんな人とつながってくれる。そして手を差し伸べてくれる。

ならば、こうしてジェームスをもっといろんな人とつなげられるかもしれない。大学生たちをジェームスや、地域の小学校の先生たち、生徒たちと繋げたら新しい試みが生まれるかもしれない。私にできることは、ネットワーキングなのかもしれない。

何も知らない、それを強みに。

自分の目指すことをいろんな人に話して、意見を聞いて、巻き込んでいく。そして、一人ひとり持っている力とビジョンを共有し、一緒に行動できるきっかけを創る。可能性を広げる。

ああ、最終日に、父母も、先生も、生徒も、大学生も、卒業生も、教育省の人も一緒に、活動の事を考えられたらどんな考えが出るのだろう。どんな案が出るのだろう。

そうした空間を作るには、まずみんなが楽しんで学校に関われるきっかけが必要だろう。今から、ブレッシングとジェームスと一緒にする五回の夏休みのイベントは、関わる人皆が楽しんでもらえる、そしてお互いの事を知るきっかけにあふれるものにしたい。

真剣にジェームスは私といつも話してくれる。

校長先生もいつも目を見て、私の話を聞き、サポートしてくれる。

私はここで、人から尊重される重みと、ありがたさを感じる。

出会って間もないし、すべてを信頼しているかと言えば、正直揺らぐときもある。でも、自分が信頼しなければ、何も始まらない。私も相手を尊重し、行動を少しずつ、していこう。打算的な考えは、捨てきれない。でも、とにかく行動する六週間にしていこう。一緒に行動していく仲間を増やしていこう。

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