前置き
マラウイはアフリカの東部に位置する内陸国。
小さな国で、国土の三割を巨大なマラウイ湖が占める、「アフリカの温かい心 warm heart of Africa」とも呼ばれる。
そんな国に去年大学のプロジェクトで六週間滞在。そこで会った人たちに惹かれ、今回は自分一人で、教育プロジェクトを去年知り合ったマラウイ人の大学生と進めるために帰ってきた!
ムズズ大学、唯一焼けなかった子供図書館
ムズズ大学は、マラウイにある六校の国公立大学のうちの一つ。北部では一番大きい大学と言ってただろう。たまたま去年、この大学の教授が私の教授と繋がりがあり、大学を案内してもらった。その時、深く印象が残ったのが、この子ども図書館。つい最近火災で、図書館が全焼してしまったが、隣にあったこの子供図書館だけは、焼けずに残ったのだ。
地域の小学校などと連携し、本を読む活動や、イベントを開催している。そうして、ストリートチルドレンの支援等も活動を通し行うという、マルチな図書館だったのだ。
今年、もう一度ふらりと訪ねると、その図書館の司書さんが毎週、月曜日、水曜日、金曜日とそれぞれ、ストリートチルドレン、障害児、そして付近の公立小学校がやってくるという。そして次の月曜日その活動を見に行く約束をしていたのだ。
熱い愉快な教授:読み書きの臨時授業
一時ごろに行くと、司書さんが玄関の椅子に座りながら、子供たちが来るのを待っていた。私も隣で待っていたら、司書さんが、「教授が帰ってきたわ!あなた行ってきなさい」と言ってくれた。そうというのも、この図書館は一人の教授の下で運営されていたからなのだ。
図書館の本が置かれている一室の隣にあるその教授の部屋を覗くと、恰幅がいい50過ぎの教授がそこに座っていた。さっそく挨拶して、自己紹介と私たちが準備している小学校でのプロジェクトを説明する。教授が少し、待って、資料持ってきてあげると出ていったところに、私のプロジェクトのパートナーも、遅れながら「よ~!」と入ってくる。彼はこの図書館に小さい頃通っていたという。
教授と彼も挨拶を交わす。そして教授が私たちに話し始める。
2007年、教授はここで、読み書きのプロジェクトを始めたという。
「まず、注意すべきことは、子供たちが安心していられる環境を整える事。」
子供たちに安心できる環境ってどうやって整えたらいいのか。教授に聞くと、グループに分けて、レベルに合わせてアクティビティーをしたらいいよ、と言われる。ある子供たちはアルファベットに苦戦しているかもしれないし、ある子は文章の意味を汲み取ることに苦戦している。そしたら、グループに分けてアクティビティーをして、その後、みんなで体を動かして遊ぶといいよ。
そして、続ける。
「子供は子供だ!楽しいことが好き。彼らは大人のように読み書きの能力を見つけようとかそんな気にしない。だからとにかく楽しくね!!」
そして勢いよく「だ~~!!」と子供の真似してお茶目にはしゃぐ教授に真剣に話を聞いていた私もつい笑ってしまう。
あと、もう一つは子供たちにモチベーションを与える事。だから、君たちの卒業生を学校に呼んで子供たちに話をするというのはとてもいいことだと思うんだ。失敗しても、大変でもやってこれた、という人たちの姿を見ると子供たちは変わる。
本を持ってきて、子供たちに読んでもらおうと思うんだけれど、本はなくなるから貸せないとコミュニティーの図書館も言っていて、私たちもどうしようかと考えていると、教授に話すと、
「本は仕舞われるためにあるんじゃない、外にあるべきだよ。」
と教授が少し熱を持ったようにいう。みんな本がなくなるのを恐れて貸さないけれど、貸すべきなんだ。グループで本を何冊借りるとか、そういうグループで借りる制度を作ったりしたら、本がなくなるのは多少防げる。なくなったとしても、それはそこにいるいろんな人の手元にあるのだからね。
後は、コミュニティーの中でバディーを組んで一緒に読む習慣をはぐくむのもいい。読める子と、読めない子二人で組む時には、性格や、興味で組み合わせるのがいいよ!
「ママグループは聞いたことあるか?」
確か、前に校長が話していたと思ってうなずく。
教授によると、政府は前に、コミュニティーリーディングを政策として取り組んでおり、ママグループがその媒体となっていたそう。そういう取り組みと一緒に肩を組んでできないか探るのもいいから、校長にもっときいてみな、と私たちにアドバイスをする。
アイディアがどんどん出てくる教授に私のメモする手も止まらない。でも、教授がふと私たちに問いかける。
「本以外に、子供たちはなにを読めると思う?」
「...???」
はてなになる私の頭をよそに、ブレッシングが答える。
「標識とか、周りの物?」
「その通り!!」
教授が嬉しそうに話し始める。なんだか、本当に一対一の授業を受けているよう!
「私たちが普段接しているものにもたくさんの文字が書かれている。」
ひょいっとペットボトルを取り出し、私たちに見せながら、「ほら、ここにもあるでしょ」と話す。
「道路の名前、標識、看板、しまいにはありとあらゆる身の周りのものに名前がある。子供たちに、『今日はどんな物見た?』と問いかけて、それを黒板に書いていくのもいいし、その見たものを絵で書いてみて、というのも言い。その時、子供たちに、普段身の回りにあるものはこういう文字で書かれるんだ、と文字と生活を結び付けてあげる。そうしたら、日々の日常も読み書きに繋がるんだよ。」
そういいながら、一冊の本を出してくる。
その本には、『マラウイのアルファベット』というタイトルが付けられており、AからZまでの単語と文章が紹介されているけれど、どれもマラウイのマーケットや、道端などで見かける物でアルファベットが紹介されている。これは、ファンクシャルリーディング(functional reading)という。
後から調べると、functional literate とはコミュニティーの中で問題なく生活でき、さらに計算や、書くことを学ぶための基本的な識字力を持っていることだという(ユネスコ)。気づけば、確かに身の回りには文字が溢れている。読めて当たり前で、無意識に読み、それに即して体が動いていたから、それが読める事が一体自分にどんな意味をもっているか考えたこともないけれど、こうした身の回りにある文字が一体どんな事を意味しているのか分からず生きる事は、生活に必要な情報が一気に制限されてしまう。識字が大切とは、こういう事なのかと今更ながら思い知らされる。
「本を待つな、いろんな周りにあるものを描いて、字で書いて、認識する事が十分素敵なこと」
教授が私とブレッシングに真剣なまなざしを向けて言う。
そして続ける。
「君たちがプロジェクトをするのなら、子供の能力を引き出してあげる事。子供たちはそれぞれに能力があるから、それぞれを見て、それぞれにあった事がある。だから選ばせてあげなさい。無理やり読ませたり、書かせたりしてはダメ。だから、絶対に競争をさせてはダメ。
準備がまだできていない子に無理やり話させたり、英語で話さなきゃだめ、と話す言語を強制したりせず、子供たちに絵で物語を描くのか、文字で書くのか、話すのか、選択肢をあげて、彼らが何をするか見守ればいい、そしてそれぞれの努力を認める。その子その子を見てあげる。そんな環境が、恥ずかしく生徒を思わせることなく、その生徒を伸ばしてあげられる。」
子どもが描いた絵を見せてくれた。
でもね、いろいろ言ったけれど、とさらに続ける。
「ここに二週間でも来た子供たちをみてごらん、たった二週間でもその子は変わる。ただ単に、この図書館に放り込んで、何もさせなくても、自然にその子は変わる」
ガッハッハと豪快に教授が笑う。
そして自慢げにさらに続ける。昔ここに来た子供が、ストリートチルドレンだったけれども、今はこの大学に進学して、三年生になったとか、○○は高校に進学したとか、ひとしきり昔関わった子供たちの話をする教授は、なんだか本当にその子供たちを誇りに思うお父さんのよう。
字を読むこと、意味を理解すること、この二段階で分けて考えたら、シンプルでいいよ、と最後にアドバイスをくれて、私たちの頭をパンパンに新しい考えにさせて教授は次の会議のために離れる。
静かな図書館に座って静かに読むストリートチルドレン
私たちはそれから隣の図書館に移る。ちょうどアクティビティーが始まったところみたい。
小さな机が並べられ、子供たちが静かにそれぞれ選んだ本を読んでいる。時に、交換をお互いでしたり、ある子は指で文章をなぞりながら一人で口を動かして読んでいたり、またある子はパラパラ本をめくって、次の本をまためくったり、またある子はアルファベットのボードを友達たちと眺めたり、またある子はチチェワ語の本を読んでいたり、、、それぞれの子どもがそれぞれ好きな本を好きなように触れている。
私も子供たちを歩きながら見ていたら、「おばさん!」と呼ばれ、その子のそばに行く。「この字なんて読むの?」そう聞かれて、彼が読んでいた本を見る。西洋風の絵の絵本だった。「これは”night”って読むよ」そういいながら、その子の隣にしゃがみ込み、その子が読み聞かせる本を聞く。ときおりつっかえるけれど、一つずつゆっくり読み上げる。隣の何歳か小さい男の子が絵本を覗き込み始める。
4ページ程、読んで、疲れたというように突っ伏した彼を周りの同級生らしき子たちが笑って茶化す。それは、でも嫌な感じは全然ない。そしたら、こんどは向かいに座る女の子に呼ばれる。自然にまた彼女の読み聞かせが始まる。「うんうん」と日本の癖が出て、ずっと相槌を打つのを隣の子が真似して、初めのころ彼女も時折集中が切れたようだけれど、しばらくすると真剣に読み聞かせて、さらに絵本の中の絵にあるものを指さして私にその単語を聞かせてくれる。
アッという間に時間がたち、司書さんが「本を閉じて~みんな本を閉じて、静かになりましょう」と歌いはじめ、子どもたちも加わり、大合唱になり、みんなの注目を集めた後、司書さんが「みんなどんな本を読んだ?」と聞き始める。私に読み聞かせた女の子が勢いよく手を上げる。おっと思ってその子が話しはじめるのをみんなで待つ。何を話せばいいか分からないのか、しばらく間が空く。司書さんがチチェワ語で何か話し、少し彼女がなにやら本の事を一言二言話す。そしてまた間が空く。司書さんがそこで、誰か他におんなじ本を読んだ子手伝って、と違う子が今度は話し始める。
そうして時に物語の質問をみんなで考えたり、共有したりした時間が過ぎ、今度はビデオで短い物語をみんなで見る。そしてまたみんなで何を見たか話す。
最後に司書さんがお祈りをあげる子どもをあてて、その子が終わりの会のお祈りをして、子どもたちは静かに列になって、図書館を出ていく。
小学生、しかもストリートチルドレンと思って、本を読む集中力があるのか、静かになるのか、と思っていたけれど、みんな本への集中力が高い。幼かったころ、よく本を読んでいた自分を思い出す。本は、やっぱりどの子にも魔力があるみたい。
私たちもスクールバスに乗っていけば、と引率の施設の職員に誘われ、私たちもバスに乗って、小学生たちにまぎれて一緒に町に行くことに。お互い別々の子どもに呼ばれ、子どもたちの隣に座り、町まで行く。
「また明日!!」と私にいう子どもたちに、なんとも返せず、「またね!!」とだけ返す。
夢見る勇気
それから私はブレッシングとジェームスと会議!
いつものレストランに腰をかける。ブレッシングがマラウイ特性のソーダをおごってくれる。
それで三人乾杯して、プロジェクトの事を討論する。
私は二人に小学校のデータを取って、ちゃんと今の現状を知りたいと伝え、このチプトゥラ小学校以外に活動を広げて行きたいと伝える。そして、「プロジェクトの期間を三年にしようと思ったんだけど、、、」と歯切れ悪く二人に伝える。「3年は長すぎるよ、そんな後は何してるか分からない」と言われるかもしれないと思って後を濁すと、
「3年、うん、いいと思う!3年、4年、10年と続けよう!」
ブレッシングが私の歯切れ悪さをスパッと切り捨てる。
そうだった、彼はこんなやつだった!!
そしてジェームスが続ける。
「We are one!!!」
私はまた笑ってしまう。
そうこれが彼らなのだ!
そしてまた三人で乾杯。
こんな時は泣けるほど嬉しい。私は心配性だし、こんなプロジェクトなんて、、、と思ってしまう。でも、彼らが「こんないいプロジェクトなんて続けるしかない!」とプロジェクトに価値を与えてくれる。
ああ、自分がそのプロジェクトがとてもいいものだと信じないと、誰もついてこないよね、と彼らを見ながら学ぶ。「こんなにいいプロジェクト、やらなくてどうする?一緒にやっていこう!実現していこう!」彼らは、本当にそう思って、どんどん人を説得していく。いつも、「れな始めてくれてありがとう!最高だよ!」と言われるけれど、本当の本当の価値を与えているのは彼らなんだ。私はまだ、これが最高のプロジェクトだと、思いたいけれど、全然ダメダメと思ってブレーキが心にかかってる。このプロジェクトがもたらす未来を私自身が描けていないから。彼らには、たぶん見えてる。
あと四週間。私も自分の心の中で、それが描けるように、自信をもって人を巻き込んでいけるようにたくさんの物を見聞きしよう。その後にようやく描けるようになると信じて、とりあえず、彼らと一緒に描いていこう!!