マラウイの先生のお家で「教育」を学ぶ!

マラウイ教育プロジェクト

前置き

マラウイはアフリカの東部に位置する内陸国。

小さな国で、国土の三割を巨大なマラウイ湖が占める、「アフリカの温かい心 warm heart of Africa」とも呼ばれる。

そんな国に去年大学のプロジェクトで六週間滞在。そこで会った人たちに惹かれ、今回は自分一人で、教育プロジェクトを去年知り合ったマラウイ人の大学生と進めるために帰ってきた!

先生とようやく対面

マラウイに去年行ってから、何が一体できるだろうか、、、

そんな風にマラウイの大学生と話し合い、二人で話していても情報は限られているからと、去年プロジェクトで出会ったマラウイの小学校に務める教員に話を聞けないか、と相談すると快く受け入れてくれた。そうして、オンラインで現在子供たちが直面している問題について話してもらい、「とてもいい活動だから、サポートするよ!」と背中を押してもらっていた。

その彼女に昨日こそ会えると思っていたが、やはり仕事がこの時期忙しくて会えず、悲しく思っていたところ夜に、「あなたに会えなくてさみしかったわ。会いましょう!」と連絡が来る。そうして、今日急遽彼女の家に行かせてもらう事に。

待ち合わせは学校の門。

道路の端っこに腰を掛け待っていたら、向こうから「れな~!」と声が聞こえる。

振り返ると高学年の女の子が少し恥ずかしそうに立っていた。歩いて行くと、その子が奥の家の方へなにやら声をかけたかと思ったら、小学一年生や彼女の年の子が赤ちゃんを抱っこしながら出てくる。小さい学年の子の方は興味深々といった様子で私を見上げる。彼女に挨拶して、名前を聞いて、そして他の子供たちの名前も聞く。聞けば、みんな私が去年も今年も関わっている小学校の生徒らしい。私が学校に先週挨拶しに行ったとき、名前を覚えてくれたのかなと思って、私たちが企画するイベントの対象七年生かと聞くと、「私は8年よ」と答えが(マラウイは小学校が8年間、そして中学校が4年間ある)。

まさか、と思って聞いてみる。

「もしかして、去年私が担当したクラスにいた?だから名前覚えていたの!?」

彼女が笑いながらうなずく。

私は去年、大学のプロジェクトで小学校で栄養の授業を5~7年生に対して行ったのだ。私は7年生を担当し、約560人の生徒と関わせてもらったのだ。今年も再び彼ら、彼女たち会える事を楽しみにして学校に行ったら、校長から「すでに彼らは卒業して学校からはいなくなったよ」と言われてショックを受けていたのだ。それが偶然会えたのと、まさか名前まで覚えてくれていたのに驚く。

おそるおそる、中学に行くのかと聞くと、満面の笑みで彼女が「行くよ!」と平然と言う。それもまた嬉しい!!

声をかけてくれた隣には、揚げ物を売る屋台が一つあり、高学年の子供が何かをあげている。何かと聞くと、サツマイモとカサバという芋を揚げているという。「へえ~」と言っていって、買おうか迷っていた間に、「はい、食べてみて」と彼女は手慣れた様子でサツマイモをすくい上げ、食べやすいように四つに切り分けて私に差出してくれる。食べると、自然の甘さが口の中にほわ~と広がる。おいしい!!

そうして、彼女たちと話していたら、「あ、ほら先生が来たよ!!」と彼女たちが言ってくれて、そっちを向くと先生がそこに。

先生の想い、校長の想い、重なる生徒への思い

私に気づくなり、先生はこっちに歩み寄り「おかえり!」と言い、私を抱きしめてくれる。

それから先生の家に歩きながら、去年一緒に行ったメンバーが今何をしているか話す。案内された石畳の家へ、靴を脱ぎ上がらせてもらう。そこに、先生の2歳の娘とその友達がリビングで迎えてくれる。リビングのど真ん中には大きなバイクがあり、テレビが何やら報道している。

彼女に示されるがまま、ソファーに腰をかける。そして早速今私のプロジェクトの状況を話す。まず、聞くべきは、昨日マラウイの友人、精神科医でもあるフランクと同じく病院に務めているジャネットが話していた、今まで訪ねた中でチプトゥラ小学校がいい学校と聞いたから、この学校をロールモデルにして、他の学校に行った方がいいのか考えていると訪ねる。

彼女は少し考えてから、私に向き直る。

2019年に今の校長がやってきてから、みるみるうちに中学に進学する生徒数が増えていった。2018年約300人のうち40人しか進学する生徒がおらず、他は試験に通らなかったが、2019年には56人、2021年には140人が進学したという。校長が来てから、学校が変わったと彼女は話す。

「だから、何がその秘訣か校長に聞いてみれば?」彼女が私に言う。

では、彼女にとって校長はどんな人なのか、校長はどういう事をしているのかと聞く。

校長は、今学期が終われば、四年間勤めていたこの小学校を離れ、この地域一帯の小学校を管轄する人になる。だから、今日の会議で校長は先生たちに、「これからはもっと努力して働くように、他の人たちに『あの校長がいたから学校は上手くいっていた』と言われないように、これからこの学校が良い学校として評判が立つのを楽しみにしている」と話した。

そして続けて話す。

校長は、「生徒は無能だ」という先生が大嫌い。生徒が上手くできないのは、教師がその生徒の中にあるポテンシャルを引き出せていたないからで、先生の失敗であり、生徒が無能であるのではない、そう繰り返し先生たちにいう。もちろん、早く理解する生徒もいれば、時間がかかる子もいる。だから、その子をその子だと受け止めて、その子から引き出して揚げる事が先生の役目なの。

彼女はその考えをどう思っているのか?と聞くと、彼女が間を置かず話す。

「私もその通りだと思っている。理解が早い子には、新しい課題をあげ、時間がかかる子にはもう少し時間をあげ、グループで討論させるようにしている。『こんな簡単な質問を先生に聞けない』と考えている子も、同級生となら話せるし、お互いで理解を深められるから。」

そして私に再び向き合って、続ける。

「でもね、時間が問題なの。」

「現在学校には約3500人の生徒が通う。その生徒を一つの学校で教えるためには、午前と午後にクラスを分けて、半分の生徒は午前、残り半分は午後に学校に通わなければならず、与えられる時間が足りないのだと話す。図書館はあるけれども、一人の生徒に一週間に1.5時間使用する時間を与えるしかなく、時間がかかる生徒はもっと時間をかけて教えたいけれども、次のカリキュラムも迫るし、午後の班の子供たちもやってくる。だから、慢性的に時間が不足している。」

うんうんとうなずきながら、私もメモを取る。

そして、気になっていたことを聞く。

「この前、先生たちと英語のサポートをどう大学生ができるか話した時、ほとんどの先生は私たちがやろうとしている本を読むアクティビティーや、物語を書く事を授業の中でやっているようだったけれど、そしたら私たちがやる意味あるのかな?」

すると彼女が声をわずかに上げて、「英語は、本当に大事なの!!」という。

それから情熱的に話し始める。それは、生徒たちのニーズは見えているけれど、そこに応えられない悔しさが少しにじんでいるように聞こえた。

「子供たちは、言われた段落を読み上げることはできるの。でも、その読み上げた文章を理解はできていないの。意味が分かっていないの。」

「教育省にこの前行ってきた時も、『生徒が試験の問題を黙読で理解できないから、先生たちが読み上げたり、意味を解釈している』と、文句を言っていたわ。本当は試験だから、先生が手伝ってはいけないのだけれども、生徒が分かるために手伝うの。」

彼女自身も一昨日、事務所で7校の生徒の期末の試験を採点してきたという。この採点により、その生徒が留年するか、進級できるか決まる。そして、生徒たちが英語で書かれた質問が分からないから質問に答えられていない事をたくさん見てきたばかりだという。

「英語、そして理由のない欠席がここの課題。」

そう話してから、彼女は一度席を立つ。どうしたのかなと思っていたら、「れな、ピーナッツ食べる?」といきなり聞く。「うん、好き!」と答えると、何やら姪に話している。しばらくすると、煎りたてで、まだ温かいピーナッツを持ってきてくれる姪と一緒に持ってきてくれる。彼女の娘も私たちのソファーにやってきて、小さな手でピーナッツを鷲づかみしてモグモグ隣で食べ始める。私もありがたいもてなしに感謝して一緒に食べながら話を続ける。

「じゃ、英語はどうやってサポートしたらいいと思う?」

彼女はすぐに答えた。

「読むにはテクニックが必要なの」

私の頭がはてなになっているのに気づいて、彼女が「例えば、、、」と続ける。

「”  water(水)”、これは名詞じゃない?”we drink water(水を飲む)”とか。でも、”we water the vegetable(野菜に水をあげる)”だったら、動詞になるじゃない?」

さらに続ける。

「英語は覚えるだけじゃないのよ。文章の中で、その意味を変える。だから、英語は文章から意味を推測する。こういうようなテクニックを子供たちに教えてあげたらいいと思う」

私は、もう勉強することばかりで、「うんうん!」、「うんうんうん!」の連続。

「後は、問題を理解して、それに対して答える訓練かな。」

そう言い終えた彼女に、私が計画している読書プログラムの話をする。

「今回は、夏休みに五日間子供たちを呼ぼうと思っていて、小学校の卒業生と、大学生と小学校に行って、グループに生徒たちを分けて、本を生徒たちに読んでもらって、それからグループ内で本の内容を話してもらおうと思ってるんだ。これってサポートになってる?」

私には、どんなプログラムが生徒たちに本当に役に立つのか、分からず悩んでいたことを彼女に話す。先生たちはすでに頑張って教えているのなら、私たちが介入する意味はないんじゃないか?

彼女は、笑いながら私の悩みを吹き飛ばす。

「それは、本当にいいことよ!私たち先生は、とにかく一人ひとりの生徒にかけられる時間が限られているの。だから、私たちはカリキュラムに集中するしかない。生徒たちに『ほら、これ覚えて、あれ覚えて』って試験の内容を覚えさせる事が精いっぱい。だから生徒たちはいろんな本に接する機会はない。」

でもね、と彼女が続ける。

「いろんな本に生徒が接することが本当に大切なの。いろんな本を読んだら、いろんな単語が出てくるじゃない。分からなくても、文章の中で、なんとなくこの単語はこういう意味かな、、と分かってくる。今は、生徒たちが読んでいるのは教科書だけれど、いろんな本を読めば、それだけいろんな言葉と接する。そして、言葉を覚える。

聞いて、話して、それからようやく、読んで、書いて、、、って言語を学ぶじゃない?

リーディングはライティングへのステップだから、いろんな本に接していたら、自然に書く方も上手になるわ。」

例えば、prayとplayは発音が似ているけれど、いろんな本を読んでいたら、どっちがどんな時に使われるか分かる。そして、正しく書ける。そう例を上げて、教育方法など学んだことない私にも分かりやすく、かみ砕いて話してくれる。だから、まず読むプログラムをして、それから書くプログラムをしたらいいよ、と私にアドバイスをくれる。

最後に、聞こうと思って、もう一つ聞く。

「じゃ、ロールモデルのプログラムの事はどう思う?卒業生を呼んで、自分の事を話してもらおうと思うんだけど、、、」

「ロールモデルは、とても大切。」

私の迷いを断ち切るように彼女が話し出す。

「ここの学校の子供たちはみんな同じような環境から来ている。だから、限られた人の事しか知らない。6年生、7年生が特に必要だと思う。例えば、ある子が留年するとする。すると、その子は『自分はこんなに大きいのに、なんでクラスにいないと行けないんだろう。不釣り合いだ』と、思い始める。彼らは、周りにいるバイクを乗り回す不良がかっこよく見えるし、自転車タクシーで稼いでいる人を見て、自分もお金を稼げるのになんで学校にいるんだろうと思い始める。だから、退学する。本当は、そんな1、2年の留年なんてことないんだけれどね。学ぶのは何歳でもいいのだから。」

少し、ため息をついてから、

「先生たちは、彼らに学校に行くように言っても、彼らにはそれは先生の義務として言っていると思って、そんなに重く受け止めない。でも、卒業生が『頑張れ』と言ったら、彼らの中に入っていく。」

たくさんの話を聞いた私は、そのまま考えにふけってしまう。すでに夕方五時。彼女は夕飯を準備しに、キッチンに行き、私はソファーで彼女の娘と、娘のともだちとノートにお絵描きをしながら、しばらく放心する。

マラウイの人たちと、教育の事について話すと、毎回その人たちの考えの深さに感動させられる。それはジンっと私の心を温めてくれる。楽しそうに私のノートで落書きする彼女の娘たちを見ながら、この子たちはたっぷりの愛と考えを注ぎ込まれて育てられているんだなあと、なんか考えて少し微笑みが漏れてしまう。

六時を過ぎると、真っ暗になって帰り道が分からなくなるから、それから料理していた先生に「そろそろ帰るね!」と告げると、「え、夜ご飯食べないの?あら、じゃピーナッツは持った?」と言われる。「いやいや、そんな大丈夫よ!!」と言うけれど、彼女が手早く、ピーナッツを袋に入れて、「これはあなたのために炒ったのだから、友達とでも食べなさい」と手渡してくれる。リビングにいる旦那さんが私が帰ると知って泣き始めた娘を抱えて、私を見送ってくれる。先生が、私を自転車タクシーに乗るのを確かめて、行き先をトゥムカで素早くドライバーに言って、私が乗って、去るところまで見守る。

温かい人たちに出会えて、そしてこうして家に迎えてもらう事が何よりも嬉しい。そして、教育が大事だと信じて、常にどうしたらいいかと考えている人と話すのは何よりもワクワクする。そして話すたびに、もっともっとこのプロジェクトがちょうどコミュニティーにはまっていけるように形作られるような気がして嬉しい。

マラウイ、本当に魅力に取りつかれそう!

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