前置き
マラウイはアフリカの東部に位置する内陸国。
小さな国で、国土の三割を巨大なマラウイ湖が占める、「アフリカの温かい心 warm heart of Africa」とも呼ばれる。
そんな国に去年大学のプロジェクトで六週間滞在。そこで会った人たちに惹かれ、今回は自分一人で、教育プロジェクトを去年知り合ったマラウイ人の大学生と進めるために帰ってきた!
困った私たち四人組
昨日、ジャネットに会い、相談に乗ってもらい、私たちのプロジェクトを出版するためにはどんな手段があるのか聞き、私たちのプロジェクトのプランを練る。結論は、今行っている一校でのプロジェクトはそのまま続行し、次の学校に移るときに、ちゃんとしたリサーチとして実行できるよう、準備する。
今まで、私と始めたブレッシングは二人でどれだけできるのか分からず、とにかく4月から8月までの、当時は無謀に思えたプロジェクトのプロポーザルを書いた。それが今、七月。プロジェクトのプロポーザルは教育省に渡され、そして実際六日後にはプロジェクト初日を迎える。始めると同時に、それは次のプロポーザルの準備をすることを意味する。
そう、私たちはこのプロジェクトを続けて、本当にマラウイのドロップアウトレートを下げるために動く。そう決めたのだ!
でも、やはり手順が分からない、、、。
どうしようとなった私は、あの熱い教授(詳しくはこちら⇒)に話をきけないか、テキストを送ってみることにした。びっくりしたことに、「明日オフィスに来ていいよ」と返信が。
そんな訳で、再び教授のオフィスに行くことに。
論理を通すプロジェクトの方法
教授に行く前に、私たちは図書館の司書さんに挨拶をする。司書さんが一番最初に相談に乗ってくれ、その後教授に私たちを紹介してくれたのだ。
本を買って、本を子どもたちに貸し出したりするんだ、と司書さんに言って相談すると、司書さんから本の管理の仕方を教えてもらう事になり、司書さんのその友達にどんなアプリがあるか教えてもらい、それから教授の部屋に行く。
教授のオフィスをおそるおそる覗くと、「はいはい!腰かけて」とすぐさま席を進められる。今回は、私はもう一人のメンバー、ビクターを連れてきた。彼も、このムズズ大学の生徒なのだ。早速自己紹介をした後、相談する。
教授曰く、子どもたちが学校に行っている間は先生の管轄下にあり、その時許可が必要なのは教育省、もしも学校外なら親と福祉課なのだという。さらに、プロジェクトのための調査なら福祉課、ジャーナルに投稿したい等学術的な調査をしたいのなら、国立倫理委員会の許可が必要なのだという。
私はムズズ大学には所属していないから、ムズズの倫理委員会には頼れない。でも、ビクターはムズズ大学だからどうなのか、と聞くと、教授が「うーん 」とうなり、私たちに、ある教授を紹介する。「その教授が倫理委員会のメンバーだからそいつに聞くと言い」、そういい、直接その教授の番号をくれる。
でも、まずはプロジェクトのプロポーザルを書いて、それを彼に送って、相談したらいい。それと同時に福祉課に連絡する事。
公にする調査は、始める前に必ず許可が必要だからね!
と私たちに話す。
とにかく、プロポーザルを書いて、それを彼と、福祉課に送って相談する。
そう、やることがはっきりした私たちに教授が話しを続ける。
The life they see is what they dream~見ている生き方が夢を形作る~
「ぜひ、大学生のボランティアをたくさん巻き込んでほしい」
ボランティアは無料で、スキルを身に着けるいい機会。そして何もかも頭だけで解決できない。人生は三つのP!「Passion! People! Persistence!」そう私たちに熱く語る。
旅すること、体験すること、そうした高等教育を受ける事、それは人生を変えるから。
“The life they see is what they dream(見ている生き方が夢見る生き方)”
「村で、育って、村を出ずに結婚し、家庭ができる生き方しか知らない子がいる。その子たちが夢見るものは、自分たちの周りにいる大人たちの生き方。彼らはそれしか知らないから。その村の外に、違う生き方があるなんて知らないんだから。そして、お金持ちの人を見ると、それは生まれ持ってお金持ちだからだ、とお互いに言いあう。彼らは”watching the poverty”。マラウイはみんな”watching the poverty”なんだよ。」
ビクターが「どういう意味?」と教授に問う。
貧困を抜け出せないと多くの人が思っている。みんな生まれ持って自分は貧困なんだと思ってるんだ。だから、
「だから、ロールモデルが必要なんだ」
ここでも、ロールモデルだ。私はひそかに思う。私たちが行うプロジェクトをいろんな人に意見聞いた時、皆口をそろえて「ロールモデルが必要」というのだ。だから私たちは練りこんだのだが、ロールモデルの大事さはだんだんと身にしみこんでくる。
You become what you think. Close your eyes, what do you feel!!
教授に言われ、ビクターが目を閉じる。何が見える?
「、、、真っ暗」
天然かっ!!!
教授も私も思わず吹き出す。だから、考えて、と言われビクターがしばらく立った後に、うーん教育かなという。
「教育?そして?教授になるの?」」
ビクターが「うーん」とうなる。
“Vision is a state and environment you want to be in. Vision is when something is done, what it is like.”
(ビジョンは自分がいたい環境、そして状態のこと。ビジョンは、何かを成し遂げた後の状態のこと)
なんで教授になりたいの?教授になってどうしたいの?“So what!? So what!? So what!?(だからなに?だからなに?だからなに?)”
教授が畳みかける。
So what と聞き続けて、最終的に話した「ある状態」、それこそがビジョン。ビジョンが見えた瞬間、人生が変わる。それが、自分の前に行くエネルギーとなるから。
教授はそう言い、ビクターは黙り込んでしまう。私は一人考える。うーん私にはまだビジョンが見えていない。
いや、だから何?と怖くて自分に聞けていないのかもしれない。
私は未だ、夢をみるのが怖い。それが見えたらもっとうまくチームを回せたのかな?
いや、でもそうしたらビクターや、ジェームス、ブレッシング等彼らのすごさも、ありがたさも私に伝わっていなかったかもしれない。彼らがいるからこそ、最近自分の夢が形作られているような気もする。
「マラウイのすべての子どもたちが小学校を終える。」
そんなビジョンは大きすぎる、そう思って、気持ちがこもっていないただの発言としか前は思えなかったけど、今は少しだけ雲が晴れて、隙間から見えるような感じ。風に吹かれ大きな雲が来るとすぐに見えなくなる、そんなビジョンしか今の私にはない。でも、このブレッシングや、ビクター、ジェームス等いろんな人と関わる中で、その雲が晴れていく事を感じる。
「ビジョンを掲げた瞬間人生が変わる」と教授はいうが、ビジョンを掲げる前にまずそのビジョンを掲げる根性が必要なのだと思うのは、へなちょこの私だけだろうか。
それから、プロジェクトのアドバイザーがほしいから手伝ってくれないか、とお願いし、教授に紹介してもらう手筈をつけ、さらに日本、台湾そしてマラウイをつなぐ活動にしたいと話すと、「それは、ぜひそうして世界を広げて、大学生たちの常識を破ってほしい」と言われる。私たちは、その期待にはぜひ応えようと二人でうなずく。
司書さんがドアを叩く。「もう閉めるわよ」。ビクターと教授の熱血指導に時にうなり、時にタジタジになって時を忘れていたが、気づけば二時間半過ぎていて、もう五時近くになっている。
教授に感謝しオフィスを去る。
プロジェクトを続ける準備を始めよう
その後ジェームスと落ち合う。
「三年間のプロジェクトの企画書を書こう」
こうして、結論をつけ解散。
なんだか、分からないけれど少しずつ活動を続けていく準備が始まっていく。
ビジョンはいつか晴れると祈る。いろんな人と関わり、いろんな物を見て、私が描く夢も少しずつ、でも確かに広がっている。
この旅を、もっと多くの若者と、小学生と、一緒にし、一緒に描く夢を広げていこう。
教授、これはビジョンと呼べるかな?
うーん、それで!?So what!!!?
まだまだ、そう聞かれそうだ。